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放送聖書朝礼 2020年11月16日

投稿日2020/11/16

【朗読箇所】
マタイによる福音書25章14節~30節

【講話】
 この話は,二ヶ月前ほど前に聖書朗読として読んだ「マタイによる福音」20章1節~16節,「ぶどう園の労働者」の譬え話と一見矛盾します。あの話は,ぶどう園の主人(神)は,朝から夕まで一生懸命働いた労働者にも,夕方から来てほんの少しだけ働いた労働者にも,一デナリオンという同じ賃金を払ったという内容でした。つまり,少しでも神に捧げた者を神は受け入れるという話だったわけです。これはけっして怠けることを推奨した話ではないことはいうまでもありません。むしろ,問題にしていたのは,「わたしの気前のよさをねたむのか」(マタイ福音書20章15節)という言葉に象徴されるように,強者(朝から働けた者)の弱者(夕方まで職に就けなかった者)に対する傲りなのでありました。傲りは不信仰の別名です。それに対して,信仰は神の前での謙虚な姿勢を指す。

 さて,今日の「タラントンの譬え話」ですが,やはり問題になっているのは不信仰です。問題箇所は「御主人様,あなたは蒔かない所から刈り取り,散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので,恐ろしくなり,出かけて行って,あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」というところです。神は一人一人を心に留め愛しておられる方。そして一人一人に違ったタラントンを,神の良いご計画に沿ってお与えになっている。人間から見れば,「他人には五タラントンや二タラントンなのに自分には一タラントン」と思える人生も,神から見れば等しく尊い人生なのです。それなのに自分のタラントンを他人と比べ少ないと思い,活かさずに地の中に隠してしまうのは,やはり不信仰です。「神に対する信頼のなさ」の表明だからです。

 五タラントン,二タラントン,一タラントンは受け取った側の言い分なのではないでしょうか。

 私たちも,もう一度,神との信頼関係を結び直しましょう。それは人との信頼関係を結び直すこととによって達成されます。なぜなら,神は人を通して私たちに語り,私たちと関係するお方だからです。

 人を活かす神の力は人と人の信頼関係の中にこそ潜んでいます。信頼関係のない中ではけっして私たち人間は成長できません。

 

校長:大矢正則

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