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放送聖書朝礼『キリストの聖体』

投稿日2020/6/21

カトリック教会の典礼では、6月14日は、『キリストの聖体』の祭日を祝いました。この『キリストの聖体』の祭日は、もとは、『三位一体の主日』の4日後に、聖木曜日として祝われていましたが、日本では、一人でも多くの人がミサで祈れるようにと、『三位一体の主日』の次の日曜日(主日)に祝うようにと決められています。

聖体は、もともと、イエスキリストが、これは自分の体であると聖書の中で弟子たちに定めたという記述をマルコ、マタイ、ルカの3つの福音書とパウロ書簡の中に見出すことができます。

イエスが十字架に向かう前に、最後に弟子たちと取った食事の中で、イエス御自身が、「食べなさい。このパンは、私の体」、「飲みなさい。この葡萄酒は、罪が許されるように流される私の契約の血」と言って、弟子たちに食べさせたパンと葡萄酒。これが、イエスによって定められた聖体の制定であり、キリストをいのちの源と信じる者たちが、2000年間にわたって、ミサの中の中心として再現してきた食事のシーンです。エウカリスチアと呼ばれるこのシーンですが、ミサそのものをエウカリスチアという場合もあって、それほどミサの中では大切にされてきたシーンです。

ところで、このご聖体は、ミサの中で、カトリックのお洗礼を受けている者だけがいただける秘跡の一つです。このご聖体をいただくときに、「これは尊いイエス様のからだ。私を強めて下さる恵み」と考えがちですが、実はこれは、あまりご聖体をいただく意味を表していません。そうではなく、「キリストは食べられて、わたしたちになってくださる。私たちはキリストのからだをいただいて、キリストになる」。これこそが聖体をいただく本当の意味であり、意義であります。ここに、人間と、キリストの決定的な違いがあります。人間は食べていのちを保つもの。キリストは食べられることによって魂を込めたいのちを伝えるものなのです。

さて、聖体をいただくことを聖体拝領といいますが、これは、コムニオというラテン語を訳したものです。コムニオのコムは、コミュニケーションとかカンパニーという言葉に使われるコムで「共に」という意味です。コムニオのユニオはユニオンの意味。数学でいうと集合の和、つまり一つになる、「一致」を意味します。ですから、聖体拝領、コムニオは共に一つになる交わりなのです。

聖体拝領によってキリストのからだをいただいたものはキリストになる。だから、今度はその人がキリストのいのちを与えるものにならなければなりません。人にキリストのいのちを与えるとはどういうことでしょうか。私たち東星学園のチャプレンである稲川圭三神父様は、それに次のように答えて下さっています。

それは、あなたが、目の前にいる相手の人に向かって、「神があなたと共におられます」と祈ることですと。たとえ目の前にいる人が自分の敵であっても、自分をいじめる人であっても、「神があなたと共におられます」と祈ります。

先日、97歳で亡くなったペトロ・ネメシェギというハンガリー人の神父様は、このことをよく、「あなたが憎んでいるあの人にも、あなたがいじめているあの人にも、あの人を愛しているお母さんがいるのですよ」という諺で話してくださいました。その諺は、確か、イタリアの諺だったと思います。

(参考:稲川圭三著『365日全部が神さまの日』サンパウロ)

校長:大矢正則

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