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聖書朝礼4月18日

投稿日2022/4/18

 昨日は、教会では、復活祭を祝いました。キリスト教のお祭りは、クリスマスの方が日本では有名ですが、世界的に見れば、というか、キリスト教的には、クリスマスよりも大きなお祝いが、この復活祭です。なぜなら、キリスト教信仰の本質は、イエスの十字架上の死と、復活にあるからです。

 少しイエスの話をしますと、イエスはもちろん、歴史上の人物です。その後の死についてですが、神でありながらも、肉体を持つ人として生きられたイエスですから、これも死んだことは事実でしょう。さらに、その死に方も、惨めな十字架上での死刑であったということもまた、様々な古文書から明らかになっています。

 しかし、問題はここからです。本当にイエスは死から復活されたのでしょうか。その復活のしかたはどのようだったのでしょうか。3日前に死んだ肉体は、どのような形で、また命を得たのでしょうか。これについては謎です。ただ、今日の聖書朗読からわかることは、マグダラのマリアが墓に行ったら、墓から石、つまり、入り口の石が取り除かれているのを見たということ。その知らせを聞いた、イエスの一番弟子だったシモン・ペトロともう一人の弟子が急いで墓に駆け付けたこと。そして、先に墓に着いたもう一人の弟子(この弟子は使徒ヨハネであるといわれています)が墓の中をのぞいたら、イエスをくるんでいた亜麻布が置いてあったということ。そして、一番弟子のペトロが墓の中に入ってみると、イエスの頭を包んでいた覆いもまた、墓の中の別の場所に置かれていたことを発見したことです。それから、先に着いていた、先ほどのもう一人の弟子・ヨハネも墓の中でそのことを確認し信じた。つまりイエスがもう墓にはいないことを信じたということだけです。今日のところはそこまでの記述しかありません。そのことを確認するかのように、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、2人はまだ理解していなかったのである。」と述べています。

 来週の朗読箇所以後で、イエスが人々の前に現れる場面が出てまいりますが、今日、読んだ朗読箇所の段階では、イエスの遺体が墓からなくなっていたということだけです。その人々や弟子の前にイエスが現れるシーンの説明は来週以降にいたしますが、今日は、復活がいったいどんなことをもたらす出来事であったのかを先取りしてお話しておきます。

 それは、一言でいうと、旧約聖書に書かれていた通り、イエスは殺された後、父なる神のご計画によって復活させられ、すべての人のキリストになったということです。

 キリストとは救い主のことです。それまで、弟子といわれていたペテロたちも、この復活といわれている出来事によって大きく変わりました。具体的には、イエスが十字架に磔られたときに、イエスを見捨てて裏切っていった、あの弱虫たちの弟子が、人々の前で、堂々と、自分たちが、あの十字架上で死を遂げられたイエスを神であると認めていることを表明しただけではなく、各地に散らばってゆき、イエスに起こった出来事を述べ伝え、人々を回心に導くような、12使徒と呼ばれる強い信仰のリーダーとなって活躍するようになった。つまり、生き方を180度変えたのです。

 復活の具体的な様子が、つまり、復活したイエスがどんな風貌をしていたかとか、そういった話は次回以降にいたしますが、復活の最も本質的なことは、人の生き方を180度変えてしまうような出来事であったということなのです。

それはもちろん、人々に救いをもたらす生き方への招きであり、恵みなのであります。

校長 大矢正則

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