新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。保護者の皆様、大事なお子様を東星学園に送り出して下さいまして、誠にありがとうございます。そして、おめでとうございます。
さて、新入生の皆さん、また、在校生の皆さん、今日の入学式にあたって、私たちにとって、学校とは何かを考えてみたいと思います。学校は英語ではSCHOOLということを知っている人は多いでしょう。そのSCHOOLの語源は、ギリシャ語の「スコレー」からきており「余暇」の意味があります。「余暇」というと、私たちは、「暇」とか「ゆとり」とか、あるいは「休み」とかをイメージしがちですが、このギリシャ語「スコレー」は、「暇・ゆとり・休み」とは若干ニュアンスが違っていて、その意味は「学問や芸術に専念し、幸福を実現するための自由で満ち足りた時間」ということなのだそうです。ちょっと面白いですね。「幸せ」を実現するためには、「スコレー」つまり、学校が必要ということなのでしょうか。
「幸せ」が実現するために学校が必要かどうかの結論はそうそう簡単には得られそうにありませんが、私はこう考えます。つまり、「幸せ」が実現するためには、真の自分と出会うことが必要だと。いや、それは必要なだけではなく、実は「幸せ」が実現するためには、自分との真の出会いがあるだけで十分だとも考えられます。学校はそれが実現する可能性を孕む、ひとつの大きな候補となる場所です。
さて、私は先ほど、「幸せ」が実現するためには自分との出会いが必要であり、また、自分と出会うということだけで十分に「幸せ」であると述べました。なぜならば、神さまは、人が「幸せ」になるように、一人ひとりを創られているからです。だからこそ、一人ひとりに違う個性と使命を与えてくださっている。もし全員が同じ個性—全員が同じなら個性といわないでしょう—と使命—こちらも全員が同じだったら使命とは呼ばないでしょうが—を与えられているのならば、人間は、それはそれはつまらなく、ある意味で無価値な人生を歩まなければなりません。みんなが同じ個性、同じ使命ならば、そもそも人と人が出会う必要がない。それどころか、自分と出会う必要さえない。なぜならば人間全員が同じ個性、同じ使命を持っておるのならば、他者が、すなわち、自分であるからです。こうなると、そもそも一人ひとりが存在している理由さえなくなる。「幸せ」とは程遠い世界を生きなければならない。
しかし、幸いなことに、私たちは、全員、例外なく、違う存在として創られている。似ている人はいるかもしれないけれど、すべてが同じという人はこの世にひとりもいない。ここに、私たち一人ひとりが異なる存在として生きている意味を見いだせる。意味のない存在は一人もいない。すべての人が、いま、ここで生きる、ここを生き続ける意味を持っている。それは出会うために。新しい友と出会い、新しい自分と出会うために、お互いが存在している。
ここ、東星学園は、真の自分と出会う場所です。どうか皆さん、自分とは異なる他者と関わることによって、仲間と関わることによって、先生方と関わることによって、真の自分と出会う人となってください。それはイコール、あなたが、そして他者が「幸せ」になるということです。人は関りに招かれた存在ですから、自分一人だけの幸せというのはあり得ません。
皆さん、今日ここに、自分の心を働かせて、自分の体を運んでくださってありがとう。さぞかし、いろいろなこと、いろいろな思いがあったことでしょう。しかし、今日、私は自信をもってお伝えします。あなたが入学した学校、そこがあなたにとって一番の学校です。なぜならば、ここでこそ、あなたはあなたと出会うからです。
2023年4月6日 東星学園中学校・高等学校 校長 大矢正則