【朗読個所】ルカによる福音書2章22節~40節
【校長講話】
今日の朗読について,22節にある「両親」とは,母マリアと養父ヨセフのことです。「その子」とはイエスのことです。つまり,マリアとヨゼフが当時の律法にしたがって,初めての子・イエスを,神に差し出す意味で,エルサレムに連れた行ったときのことがかかれています。日本でも,お宮参りという儀式がありますが,子どもが生まれて間もないうちに,聖なる場所に連れて行き,その子どもの将来の無病息災を祈願する儀式というのは,古来より世界のあちらこちらで行なわれているものです。イエスの当時のイスラエルでもそうだったのでしょう。産後40日を経過したときに神殿に行って供え物をする習慣がありました。
そのようにして初めて神殿を訪れたときに,シメオンという人物がイエスに出会いました。今日の聖書の説明によると,「この人は正しい人で信仰があつく,イスラエルの慰められるのを待ち望み,聖霊が彼にとどまっていた。そして,主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない,とのお告げを聖霊から受けていた」とあります。聖霊が彼に留まっていたということから預言者だったことがわかりますし,「イスラエルの慰められるのを待ち望み」という記述からは,シメオンが年長者,つまりは老預言者であったであろうということがわかります。そのシメオンが霊に導かれて,神殿に入ったとき,幼子であり,メシア(救い主)であるイエスもそこに入ったと書かれており,シメオンは即座に幼子イエスを抱き上げたとあります。救い主の到来を待ちわびていたシメオンは言います。「主よ,いまこそあなたは,お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と。ここでシメオンが「いまこそあなたは,お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」と言ったのは,「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」という預言が成就したからでしょう。これで,シメオンは安らかに永眠することができたわけです。この箇所は,シメオンの臨終の歌ですが,同時に,古くからの一部のキリスト教会では,一日の終わりに,眠りに就くときの祈りとしても唱えられています。
年老いた預言者シメオンのそのような言葉と行動を見たマリアとヨゼフは,非常に驚きます。それを見たシメオンは,二人を祝福し,とありますが,よく聖書に出てくる,この「祝福」という言葉は,「神を賛美し」「良いことを語る」とか「良いことを願う」という意味です。英語でしばしば,他人と別れるときや,見送るときに,God Bless You.と言いますが,Bless(ing)に相当する言葉です。
つまり,預言者シメオンは,マリアとヨゼフに向かって,良いことを知らせたわけです。その良いお知らせの内容が,34節後半から35節にかけての,「御覧なさい。この子は,イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ,また,反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」というシメオンによる語りです。
ところで,このシメオンによるマリアに対する預言は,非常に厳しいものでもあります。この救い主イエスは「反対を受けるしるしとして定められ」とありますが,これはイエスの受難を予告するものでありますし,マリア自身も「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と告げられます。母マリアにとってイエスは自分の胎から出でた,しかも生まれてからまだ40日しか経過していない「わが子」です。そのわが子の受難が預言されたことは非常に辛いことであったに違いありません。
マリアは,神の子が胎内に宿ったと天使から告げられたときも戸惑いましたが,その子どもが生まれて40日目に今度は受難の予告が告げられたことになります。マリアという女性の運命は,なんとも言い尽くし難いものがあります。
しかし,世界中の女性たちや親たちが,そのマリアという女性を手本として生きたいと願い,自身の洗礼名を「マリア」としたり,わが子に「マリア」と名付けたりしています。そして,世界の教会においても,マリアは,神の母,全人類の母,無原罪の方,秘昇天された方,神に取り次いでくださる方として,最も重要な聖人,特別な存在として,祈りの対象となっているわけです。実際,東星学園でも,全児童,全生徒が,毎日,アヴェ・マリアのお祈りを唱えています。
続いて,今日の朗読箇所では,若いときに夫に先立たれた女性預言者のアンナが登場します。アンナという名前もまた世界中の女性に多い名前です。アナあるいはハンナ,ハナなども同様の名前です。長編小説『アンナ・カレニーナ』はロシアの文豪トルストイの最高傑作として150年もの間,読み継がれていますし,『アナと雪の女王』は数あるディズニーアニメの中でも大ヒットした作品の一つです。今日の朗読箇所によると,アンナは,「神殿を離れず,断食したり祈ったりして,夜も昼も神に仕えていた」とあります。現代でいえば,修道女のような生活をしていたのでしょう。そのアンナもまた,幼子イエスが神殿に入ってくると,近づいて神を賛美したとあります。そして,「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」とあります。この意味で,アンナは,最初に人々にグッド・ニュース,つまり福音を知らせた女性であったということができるでしょう。
このように,今日紹介したシメオン,アンナの二人の老預言者は,この世に来られたイエス様に出会い,ようやく希望を持ったということが語られているのだと思われます。歳を取っていたということはまた苦労を重ねてきたと言い換えることもできるでしょう。苦労は重なると,先行きが不安になるものです。これは歳をとっていようが若かろうが同じです。むしろ,今の時代は若いあなた方の方が,SNS等の情報によって不安が大きいとも言えましょう。皆さんには,シメオンやアンナのように不安,あるいは絶望を希望に変えて生きていただきたいと思います。大きなマイナスは,それだけ大きなプラスに変わるのです。
校長:大矢正則
※元原稿のため,実際の講話とは若干異なります。