クリスマスは,世界中の人々にとって待ちに待った日だろうと思います。例えば,戦争をしている兵士たちもクリスマスになると一時的に戦いをやめ,クリスマス休戦に入るという歴史は,第一世界大戦の最中,1914年に起こりました。この年,イギリス・フランス軍とドイツ軍による戦いが繰り広げられていた,ベルギー南部からフランスの北東部かけての,西部戦線と呼ばれる戦闘の最前線において,敵対していたドイツ軍とイギリス軍が共にクリスマスを祝ったと伝えられています。これは『クリスマス休戦』という映画にもなっています。
このときの休戦は,公式な休戦ではありませんでしたが,一部の戦線においてドイツ兵が塹壕のなかで,クリスマスキャロルを歌い始めたところ,それを聞いたイギリス兵が,その聖歌に応えるように,自分たちのクリスマス聖歌を歌い,互いに賞賛の拍手を送り合ったというものです。
これをきっかけに最前線で対峙していた両軍の兵士たちは次々と銃を置き,塹壕から出て,互いに歩み寄り,中間地帯で握手を交わしたとされています。さらには互いの配給品を贈り合ったり,サッカーに興じたり,お酒を一緒に飲むなど,敵同士とは思えない,まるで一緒に戦う戦友と語り合うような時間が流れたといいます。
これは,ある意味で,戦争というものを象徴する出来事です。つまり,戦争というのは始まってしまうと,敵と味方に別れてしまうということ,誰が敵で誰が味方かは実は自分たちが決めることではなくて,戦争を始めた各国の元首をはじめ,為政者が決めること。そして,戦争を始めた人たちはけっして戦地には行かないということ。彼らは頑丈に守られた建造物の中で何不自由のない生活を送っていること。
一方,戦地で戦っている人々は,自分たちが戦争を始めたのではないこと,しかしながら戦争を実行している組織においては上司・上官の命令は絶対であること,敵であると教えられた側に対しては不特定多数の人に銃を向けざるを得ないこと,そうしないと,自分が殺されてしまうかもしれないという恐怖,つまり,生きるためには相手を殺めなければならないという,人間としての極限状態に置かれてしまうわけです。
そんなときに,敵の塹壕の中から,クリスマスキャロルが聞こえてくる。Sleep in heavenly peace. 天国のような安らぎの中で眠る,天国のような安らぎの中で主なる独り子である赤子のイエス様が眠る。こんな歌詞が聞こえたら,兵士たちには敵も味方もなかったのでしょう。銃を置き,互いに持っていた生活必需品を贈り合い,一緒に遊び,お酒を酌み交わす。幼子イエスが与えられたことによる「主の平和」が訪れた瞬間です。
しかし戦争とは,恐ろしいものです。人というのは弱いものです。驕り高ぶると大切なものが見えなくなる。1914年の12月24日から25日にかけてのクリスマス休戦はあっけなく終わり,翌26日からは再び敵味方に分かれて戦闘は激化しました。そして,1年後の1915年にも,2年後の1916年にもクリスマス休戦は発生しませんでした。ですから,1914年のクリスマス休戦をあまり美化しすぎないことも大切でしょう。私たちが求めなければならないのは,休戦でなく,終戦です。そして,阻止しなければならないものは,開戦です。戦争とは他者を相手を先頭不能になるまで傷つけることです。戦争は殺していいものと守るものを分かつ最大の差別です。最大の人権侵害です。そして、ヨハネ・パウロ二世が,被爆地広島を来訪されたときに仰った通り,戦争は人間の仕業です。この深淵から救ってくださるのは神様だけです。そして,神様は意表をついた形で,意外な人の言葉や行動を通して,私たちに救いの手を差し伸べてくださる方です。神様からの救いの手に対して,私たちの方からも手を伸ばしさえすれば,神様は喜んで,引き寄せてくださることでしょう。神様こそ希望そのものです。そして,「希望は欺かない」(教皇様の2025年聖年メッセージ)のです。
校長 大矢正則
※元原稿であるため,実際のスピーチとは異なる部分があります。