教会では、昨日は、主の昇天を記念する祭日を祝いました。そこで読まれた福音朗読箇所が先ほど読まれたわけです。したがって、その中心箇所は、19節の「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」ということであることには異論がないと思われます。しかし、私は、今日はその前に書かれている「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」というイエスがこの地上で弟子たちに語られた最後の箇所に注目したいと思います。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」。文字通り全世界に行って、なのです。そして、すべての造られたものに、なのです。どうしなさいと言われているのかといえば、「福音を宣べ伝えなさい」と言われているわけです。
ここに、福音の本質が現れています。「全世界に」というイエスの言葉は、これを聞いた弟子たちを含めて、当時のユダヤの人たちにはとっては、衝撃的な言葉であったと思われます。なぜならば当時のユダヤの人々には、自分たちだけが神から選ばれた特別の民であるという選民思想があったからです。そんな中にあって、イエスは躊躇することなく、「全世界に」という言葉を使ったのです。ここから当時のユダヤの人々も、また現代に生きる私たちも学ばなくてはならないことがあります。それは選民思想の否定ではありません。例えば、マタイ福音書10章5節・6節には、イエスが当初、弟子たちを派遣するにあたって「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と告げたと書かれていますし、同じくマタイ福音書の15章24節では「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とも仰ったと書かれています。このように、イエスは当時の社会の考え方にも配慮していたのです。しかし、天に帰っていくに際して、より普遍的なものとして、「神はユダヤ民族の神だけではなく、すべての人間の創造主であり父であること」、そして「すべての人間は、民族、国籍、宗派を超えて、みな一人ひとりかけがえのない尊い存在であるということ」(森一弘司教『みことばの調べB年』サンパウロ)を弟子たちに告げられたのです。
さらには、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい、と続けています。すべての造られたものですから、他宗教の人や無宗教の人も含むありとあらゆる人が含まれます。それらの人々に対して、イエスは何を宣べ伝えなさいと言っておられるのか。他宗教、無宗教の人もそれを知らせたいのですから、当然それは、他宗教、無宗教の人にも理解されるものではないと意味がありません。ましてや、イエスは他宗教、無宗教の人にキリスト教を伝えよなどとは考えてもいなかったでしょう。人にはそれぞれ大事にしてきた宗教があり、考え方があります。そこにキリスト教という宗教を押し付けることは、その時点で上から目線です。それはイエスご自身が最も嫌った態度です。上から目線、つまり高みからの見下ろしではなくて、社会の中で虐げられ、地を這うように生きている人たちと同じ視座から、その人たちに寄り添い、低みから物事を見る生き方を生涯された方がイエスであり、そのような生き方を人々にするよう促された方です。イエスがキリスト教を押し付けるはずがありませんし、拒む人にキリスト教を押し付けた時点で、それはイエスの思想から遠ざかっていきます。
では、一体全体、イエスは何を全世界に、すべての人々に伝えたかったのか。それは、普遍的なよいお知らせです。では、どんなにいいお知らせなのか。このお知らせにはいろいろな表現方法があります。あなたは大切にされる価値のある人間である。無条件の愛によって神はあなたを愛しておられる。あなたはあなただから大切。いま申し上げたことは、どれも同じことを違った言葉を用いて表現しているに過ぎません。
あなたはあなただから大切。しばしば、キリスト教では、だから、あなたも他人に親切にしましょうと教えます。私は、そのような教えはまさにキリスト教であると思いはします。間違えてはいないでしょう。しかし、それは『福音』ではありません。『福音』はそんな教えではないのです。『福音』は知らせです。しかもよい知らせです。あなたはあなただから大切。どからどうしろではないのです。だからどうしろということを言い出した時点で『福音』からは離れます。『福音』はそこからどうしろということをお知らせすることではなく、『福音』はそのものが喜びなのです。
『福音』はいつでも現在形です。あなたの存在の中心にあるホーリー・スピリット、あるいは、心のスティル・ポイントは永遠の神と繋がっています。
ですから、あなたは大切にされる価値があるというのは、将来のことではありません。今です。既にあなたには価値がある。既にあなたは愛されている。愛されている罪人、それがあなたです。これが『福音』なのです。これがイエス・キリストのメッセージです。よいお知らせです。無宗教の人にも、他宗教の人にも当然及ぶよいお知らせです。
わたしたちは既に大切にされています。これは人間が生きる原理でしょう。原理とは、他に依存しない根本的、根源的なものを指します。物を押せば押し返されるのと同じです。人が生きていくことはそれだけで価値がある。Doingではありません。Beingこそが普遍性を持っているのです。
校長 大矢正則