今日の朗読箇所について、皆さんと分かち合う前に、別の話を先にします。今日、この放送を聞いている中の、中学生二人が行ったすばらしい働きについてです。それは先週金曜日の下校時の出来事です。二人は、下校途中にお体の不自由なお年寄りが荷物をもって歩くのに苦労されているのを見かけます。そして、その大変そうな様子を見るに見かねて、その方を家まで送ってくださったそうです。それは、帰り道の序にしたのではなく、下校路をいったん戻り、暗い道に入っていったそうです。ちょうどその暗い道に入っていくところで、その二人を久恵先生が見かけ、付き添ってくださったそうです。
この二人の中学生のなさったことは、Teamsで久恵先生が東星の中高の全教員に共有しました。私はそれを読み、その二人の生徒を誇らしく思いましたし、また、そのようにすばらしい生徒の通っている学校に勤務していることに、改めて喜びを感じました。先生方が使っているTeamsでは、よく、「いいね!」のリアクションはあるのですが、その二人の行動を報告した久恵先生の報告には、瞬く間に、「ステキ!」の意味を表す、ハートのマークが先生方からいくつも付きました。多分、先生方のTeams史上初のことだったと思います。
私は、改めてこの聖書朝礼で、そのように、苦労しているお年寄りを、見るに見かねて、自分の時間を割き、道を引き返し、家まで送り届けてくださった二人の生徒に敬意と感謝の意をお伝えしたくて、この話を最初にしました。お年寄りにとって、辛くて暗い道を、あなたたち二人の行動は明るい道に変えてくださいました。どうもありがとうございました。
さて、待降節の第二主日である昨日の福音には、洗礼者ヨハネの呼びかけが響いています。「悔い改めよ。天の国は近づいた」。
天の国とは何でしょうか。他の福音書では神の国と表現されています。天の国と神の国は同じ意味の言葉です。天の国というと、私たちは、特に日本文化の中で生きている人は天国や極楽浄土を思い浮かべます。しかし、それとは少し、というか、だいぶ違います。ある牧師さんによると、神の国とは、「ああ、あの人もいるんだぁ」と思うようなところなのだそうです。
ところで、神の国とはすべての人の願いが叶うところでしょうか?
これについては面白い映画があります。2003年の『ブルース・オールマイティ』というアメリカ映画です。その映画にこんなシーンがあります。休暇を取った神様の代わりに(まあ、そんなことはないのですが・・。) 全知全能の能力を与えられた主人公ブルースは、人々の願いをこの機会に叶えてしまおうと思います。しかし、一つひとつ叶えることが面倒になり、すべての人に共通するような願いから叶えることにしました。そうすれば、まずは全員が幸せになれると考えたからです。
しかし、世界は大混乱。一気に修羅場と化します。
宝くじを買った人は全員一等に当選しますが、分配金の関係で、1等の当選金が17ドルにしかなりませんでした。1等であるにも関わらず、初めに買ったときの宝くじの金額よりも安くなってしまったのです。腹を立てた当選者たち、つまり、宝くじを買った人々が暴動を起こし、都市機能がストップします。また、テレビを見ている視聴者が言ってほしいようなことをテレビキャスターは言うようになります。
ここから先は映画には出て来ませんが、ブルースがしてくれそうなことは、次のようなことが考えられます。
企業の社長であれば、社員をもっと安い給料で働かせることができるようになります。しかし、社員たちはより多くの給料をもらうようになります。受験生たちは全員が合格。しかし学校は定員があるので、できるだけ優秀な学生をとりたい。大混乱ですね。あと、皆さん想像できますか?こんなこともありそうですね。8月31日には、全国の学校が自然発火によって火事で焼けることでしょう。もちろん、誰も望まないことなので、この火事による犠牲者は出ません。しかし、このことによって、生徒たちはため込んだ夏休みの宿題を翌日までに出さなくてよくなるようになります。しかし、そうなると先生たちの、生徒たちの学力を高めたいという願いは叶いません。
そんな風にすべての人の願いが叶ったら、、、、、そうです。これ以上の混乱と災難はありません。
さて、神様から全知全能の力を預かったこの映画の主人公ブルースは何を間違えて、こんな混乱と災難を起こしてしまったのでしょうか。すべての人の願いが叶うように、全員が同じ幸せを味わえるようにブルースは全知全能の力を発揮したというのに、世界中に混乱と災難が広まったのです。
この答えは簡単ですね。それはブルースが神ではなかったからということです。叶えてはいけない人の願いを叶えてしまった。つまりみ旨(み旨とは神様のご計画のことですが)とは違った計画を実行してしまったということなのです。
もう少し詳しく言うと、ブルースは人の自分中心的な願い(それは欲望といってもいいかもしれません)だけを叶えようとしたのです。しかも、それらは全部叶うことが正しいと仮定して叶えてしまった。しかし、その仮定には重大な誤りがあります。人には叶っていい願いと、叶わないほうがいい願いがあるからです。
なぜならば、一人ひとり人間には個性があります。人間は画一的に創られているのではありません。一人ひとりが神様の最高傑作なのです。神様は、私たち一人ひとりを自分に似せてつくってくださったときに、一人ひとりに神様がなさろうとしていることの一部を、つまり使命を分け与えてくださっている。そして、この分け与えられた使命はすべて異なっており、これらの使命のすべてが実現するとき、神の意志が実現する、神によるこの世の支配が始まる。これを神の国というのだと思います。
神の国は、私たち一人ひとりの人間が神様から与えられた使命を発揮するときに実現する。もう少し踏み込んでいうと、私たちが神からの恵みによって、与えられた使命を全うさせていただく。このことを、イエス様は、「神の国はあなた方の間にあるのだ」(ルカ17.24)と表現されています。今日最初にご紹介した、お年寄りの道を明るく照らして下さった本校の二人の中学生は、まさに、神様の御心にかなった、やさしい行動をしてくださいました。そうした小さな親切こそが神の国を実現させます。
わたしたち一人ひとりの小さな力によって、神様の御心がこの地上でも行われますように、皆さんで主の祈りを唱えましょう。
校長 大矢正則