中学校・高等学校

聖書朝礼 【神殿の崩壊を予告する】

投稿日2025/11/16

朗読箇所】ルカによる福音書21章5節から9節

【校長講話】インフルエンザ感染防止のため集会の実施は中止となったため、以下は元原稿です

 今日は『ルカによる福音書21章』から読まれましたが、その初めの方、6節で、イエスは、当時の偉大なる神の力の象徴であった神殿を指さし、「あなた方が目にしているこれらのものが破壊され、積み上げられた石が一つも残らない日が来る」(ルカ21:6。この部分だけフランシスコ会訳。他は新共同訳)と仰いました。

 つまり、イエスは当時のユダヤ人の誇りであり、心のよりどころでもあった神殿の崩壊を予告したのです。注意深い人はいま私が、予告したのですという言葉に気づいたでしょうか。そうです。イエスは預言者ではなく、神ですから、これから起こることをすべてご存知で、予言するのではなく、そうなることを予め人々に告げておいた。つまり予告しておいたのです。

 この予告は、神殿近くにいたユダヤ人たちを大いに動揺させたことでしょう。イエスはさらにこのこと、つまり、神殿の崩壊を世の終わりと結び付けて、救い主メシアの名を語る者や、終末のときが近づいたという者が大勢現れることも予告しています。

 例えば、1800年代後半に発足したあるキリスト教のある一派(異端)は、1914年に終末が来ると予言しました。また、私が中学生であった1970年代には、1999年に終末が来るというノストラダムスの大予言というのが大流行しました。いずれにしましても、20世紀は、世界大戦を含め、各地で戦争が相次いだ時代であり、ノストラダムスの大予言が流行った時代は、中東戦争、ラマダン戦争に端を発したオイルショックで世界中の人々が混乱していた時代です。このような、社会が混乱したときには、人々の不安に付け込み、根拠のないことを言いふらす人が現れるものです。

 一方で、イエスの神殿崩壊の予告は、メシア、つまり、救い主の再臨が近いことを明らかにすることを示すものではありません。実際イエスは、マルコ福音書13章32節で、「その日、その時は、天の父以外、だれも知らない」と明言しています。
 
 すなわち、今日の福音で私たちがイエスの言葉から聞き取るべきことは、天変地異や戦争・疾病・弾圧・不正などのこの世の混乱と、終末を結びつけてはならないということです。
 
 10節から11節で「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」というイエスの言葉が出てまいりますが、12節で、「しかし、これらのことがすべて起こる前に」とわざわざ留保して、「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」と予告しておられます。 

 そして、続けて、13節で「それはあなたがたにとって証しをする機会となる」と仰っています。実は、この「証しをする機会となる」という言葉こそが、今日、イエスが私たちに伝えたかった最も重要な言葉なのではないでしょうか。

 戦争や社会の混乱を避けたいともう気持ちは、平和を求める人なら誰でも持っているものでしょう。たとえば、少し前に世界中を一種のパニックを引き起こした新型コロナウイルスの流行。私たちは一刻も早い終息を願いました。神様は、そうした人間の悲しみ・苦しみ・不安、それを避けたいという願いを知っていて下さり、一緒にいてくださる方です。

 しかし、世界大戦や新型感染症などによる混乱が現実であることも、イエスは、今日読まれた神殿崩壊の予告をもって私たちに知らせています。

 イエスの言葉は2000年前に発せられた言葉ですが、今日でも完全に通用する永遠の真理の言葉です。これをみ言葉といいます。聖書に書かれている言葉をみ言葉というのですが、み言葉は聖書の中で、当時の人々に告げられているだけではなく、いつの時代にも、それを読んだ人に、語りかけています。その語りかけは、それを読んだその人が、つまりあなたが、そのとき置かれている状況の中での神からのメッセージなのです。いつの時代にも、読まれたそのときに、読んだその人に真理を伝える。それがみ言葉であり、いま私たちが手にしているこの聖書という書物なのです。

そして、すべてのみ言葉は、人間の最高の価値が、幸せな状況に包まれることの中にあるのではなく、むしろ、弱い人間として、あるいは、小さくされた側の人間として、ありのままの現実を受け入れ、それでも諦めず、苦悩しながらも絶望せず、神に信頼を寄せよというメッセージのバリュエーションです。

 現実の闇の中にあっても、神に信頼を寄せ、絶望の向こう側にあるキリストの光に希望を託すことに真の救いがある。たったこれだけのことですが、絶望を知っている者は、キリストの光がどれほど大きな希望であるかを知るものとなるでしょう。それが私たちにとっての証しの機会ということなのです。

 あなた方に、特にあなた方の中で、いま苦悩を感じている人に、ビクトール・フランクルという、かつてアウシュビッツの強制収容時において、毎日、死と隣り合わせに生きた精神科医の言葉をお伝えしたいと思います。

 「人間は苦悩の極みによってこそ高められる」。

校長 大矢正則

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