今日の福音朗読は、罪とゆるしについての箇所(ヨハネ8章1節~11節)でした。重い罪を犯した女性を、イエスはどう扱ったのか。結論はゆるしたわけです。
さて、罪とはいったい何でしょう。聖書には、罪のカタログというのがあります。皆さん、マルコによる福音書7章21節を開いてください。そこには、「みだらな行為、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口(あっこう)、傲慢、無分別など」と書かれています。しかし、これらは罪の結果であり、人間にはそのような罪を犯してしまう可能性を誰もが持っている。こちらのほうが罪の本質です。新約聖書の中の、ギリシャ語、ハマルティアという言葉が、日本語の聖書では「罪」と訳されているのですが、このハマルティアという言葉は、もともと弓矢などで「的を外す」という意味の言葉です。つまり、キリスト教でいう罪とは、的外れという意味なのです。
では、どんな的外れなのでしょうか。それは神様と自分との関係を的外れな関係にしてしまうことです。そういわれてもピンとこないかもしれませんね。それでは、神様と自分との的外れではない、つまり、正しい関係とはどんな関係でしょうか。
神様とは「愛」そのものですから、神様は、すべての人を例以外なく、愛してくださっています。愛してくだっているという日本語も、今一つしっくりこないかもしれませんので、少し説明しますと、神様はご自身の意志で創られた人間一人ひとりに、一人ひとり違った個性と使命を与えてくださっており、一人ひとりの人間に対して、自分の個性と使命に気づいてほしいと願っているということです。
では、神様はなぜそう願っておられるのか。それは、神様が一人ひとりに与えられたそれぞれの個性と使命こそが、その人を幸せな人生に導くからです。つまり、神様は、一人ひとりに幸せになってほしくって、一人ひとりに一番ふさわしい、個性と使命を与えてくださったのです。それに気づくことこそ、その人にとって最高の喜びなのであり、それが神様の喜びなのであります。その人の喜びが神様の喜びであり、神様の喜びがその人の喜びである。このような神と人との関係が正しい神様と人との関係なのです。つまり、神様と人間の的外れではない関係とは、このように神様と人間が同じ向きを向いて生きていくことなのです。
こいうわけですから、逆に神様と人間の的外れな関係とは、人が神様と違う向きを向いて歩きだしてしまうことを指します。
しかし、人間は弱い存在です。特に人間は誘惑に弱い。それは、創世記に書かれている最初の人間から、蛇に誘惑されて、神様と同じようになろうとしたことからも容易にわかることです。これを原罪と呼ぶのですが、このことからわかるように、私たちが誘惑に負けるということは、実は、私たち自身が神になろうとすることであるとも言えます。誤解のないように付け加えますが、神様と同じように優しい心をもつことはよいことです。しかし、自分が神になろうとすることは、最も重い罪です。なぜなら、本来、神様に与えていただいた個性と使命によって幸せになれるはずの人間が、自分のエゴイズムによって権力を手にいれようとすることになるからです。
それでも、人間は、罪を犯してしまう。罪とは、先ほどお話ししたように、神様との関係を的外れなものにしてしまう。神様の愛に自分を開かずに殻に閉じこもってしまう。自己中心的なエゴイズムに基づいて他人との関係を築こうとすることです。キリスト教では、こうした自己中心的な行動だけでなく、そのように心の中で考えてしまうことも罪であると教えています。自己中心的にものごとを考えてしまうことは、人間にとって、ある意味で、日常茶飯なことです。そうすると、すべての人間は罪人であるということになる。聖書にも、「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽りものとすることである」(ヨハネの手紙一 1章10節)とはっきりと書かれています。
さて、そんなわけですから、今日の福音箇所で、イエス様が「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と人々に言われたとき、誰も石を投げることができなかった。誰もが自分の罪を思い起こし、去って行った。しかも、年長者から順に去っていった。それは、歳をとるということは、それだけ多くの罪を犯してきたからです。
そして、最後に、重い罪を犯した女性だけが一人残った。その女性にイエスは言います。「わたしもあなたを罪に定めない」と。つまり、神であり、何一つ罪を犯していないイエスは、この女性を裁くこともできたのですが、そうなさらなかった。神であるイエスは、この女性の罪をゆるした。より正確に言えば、罪を背負った人間のこれまでの在り方を受容し、回心を促した。こういうことになります。
最後に、旧約聖書にある、罪とゆるしに関する感動的な言葉を引用して終わりたいと思います。「知恵の書」11章23節~26節です。
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。