三位一体の神
世界中の教会が、昨日は、三位一体の祭日を祝いました。『三位』とは、神の三つのペルソナで、それは、父と子と聖霊の三つです。『一体』とは、それらの三つのペルソナが一体であるという秘儀です。
いま、私は、秘儀という言葉を使いましたが、これは、人間には知ることの出来ない不思議な業ということができるでしょう。しかし、東星学園にいると、この秘儀を表わす言葉に、実は毎日親しんでいます。それは、主の祈りや、アヴェ・マリアの祈りの前後に、必ず、「父と子と聖霊のみ名によって」と言いながら、十字を切るからです。これは三位一体の神への讃美を身振りで示す行為です。
東星学園小学校の入学式では、イエス様が教えてくださったお祈りを唱えましょうと言って、まず、十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって」と唱え、主の祈りを唱え、そしてまた、十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって」と唱えます。小学校から入学された皆さんは、このときから、あるいは、東星学園幼稚園などのカトリックの幼稚園から来られた方は、もっと前から、この身振りと言葉を唱えています。高3生は、もう、何回、十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって」と唱えたことでしょう。
ミサを捧げるときにも、最初に司祭が口にする言葉は、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、」(二コリント13.13)「皆さんと共に」という言葉です。
また、キリスト教の洗礼式では、今日の朗読箇所にあるように「父と子と聖霊のみ名によって」(マタイ28.16)洗礼が授けられます。
このように私たちは、日常的に「三位一体の神」と親しんでいます。では、その神はどんな神なのかというと、先ほど述べたように、秘儀なる方なのであります。しかし、だからといって、この神について、何もアプローチしないというのは、ちょうど、好きな人を、好きなのだけれど、それ以上のことを知ろうとしないのに等しいことです。そこで、少し、手がかりがあります。
例えば、阿部仲麻呂さんという神父様のご著書『使徒信条を詠む』(教友社)には、「「三位一体の神」という真実が示すことは、」以下の二つのポイントにまとめることができると記されています。
一番目には、「神が私たちといっしょにいたい」ということ。そして、二番目に「神が私たちといっしょに成長したい」という、2点です。ここで、驚くべきことは、私たちが神といっしょにいたいのではなく、神の方が私たちといっしょにいたいと思ってくださっていること。さらには、私たちがではなく、神の方が私たちと寄りそって成長したがっているということです。
この、私たちといっしょにいたがる神、私たちといっしょに成長したがる神のなさったことのうち、最も、その神らしい出来事が、あの、クリスマスの出来事です。そうです。三位一体の神は、私たちといっしょにいたい余り、私たちと同じ人間の姿になってしまわれ、殊もあろうに、何もできない、つまり、これから私たち人間といっしょに成長する赤子となって、この地上に降りてきてくださったのです。
三位一体の神のこの秘儀を、聖書はこう語ります。新約聖書、『フィリピの信徒への手紙』第2章6節・7節です。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
とありますね。
三位一体の神の神秘に私たちも与るものとなるためには、私たち自身、成長し続ける存在となることであり、そのために一番大事なことは、イエス様の生涯に倣って、目の前にいる相手と、ていねいに関わることなのであります。
校長 大矢正則